第4章
ロンドン時代
神の栄光を宣べ伝える
この章でわたしは聖書で”宣べ伝える”あるいは”証しする”呼ばれていることをしたいと思います。わたしは神の栄光を宣べ伝え、神の慈悲を宣べ伝え、神の善を宣べ伝え、神の英知を宣べ伝え、神の御名を宣べ伝え、神がだれなのか、神の御性格、神はどういう方なのかを宣べ伝えます。
クリスチャンであることはキリストを知ることである
わたしにとってクリスチャンになるということは何かの宗教に参加するということではありません。わたしはいままで宗教自体に興味を持ったことはありませんでしたし、いまでもやはり宗教に興味はありません。クリスチャンになることは神を知ることです。それは神を生きている方として、あるいは三位一体として知ることです。神を知るというこの過程において、わたしたちはクリスチャンであるとはどういうことかを理解し、クリスチャンとして成長して行くのです。クリスチャンであることは勉強してどれくらい学んだかということではありません。私自身そのことには十分時間をかけてきたので、学ぶことに反対しているわけではありません。ただ、キリスト教の教義や歴史、組織や団体を知っているからといって、あなたがクリスチャンであるとはいえないということです。たとえもしあなたが教義を全て信じていたとしても、こういうことは何ひとつあなたをクリスチャンにさせることはできません。基本的にクリスチャンであることはキリストを知ることです。パウロは彼のやりたいことはただひとつキリストを知ることだと言っています。(ピリピ人への手紙第3章8節、10節)ヨハネの第1の手紙第5章20節でキリストを知ることは永遠のいのちであると言っています。ですから、すべてはこのキリストを知るということにかかっているわけです。わたしが宣べ伝えたいのは、キリストがご自身についてわたしに何を教えてくださったかということです。
神はひとそれぞれ違った形でご自身を現される
わたしがもうひとつはっきりさせておきたいのは経験は必ず人それぞれ違っているということです。ですから、あなたの経験をわたしのと比べる必要はありません。なぜなら神様は人それぞれ違った形でご自身を現されるからです。わたしはこの点を特に強調しておきたいと思います。というのも時として経験が非常に劇的だったりすることもありますが、あなたは”自分はそんな経験をしたことがない”と思うかもしれないからです。それは重要な事ではありません。劇的とはいえなくても、非常に現実的に神様を経験することだってありえます。
経験が劇的なものになるかどうかをわたしたちが決めるわけではありません。例えば、主イエス・キリストが使徒パウロにご自身を現された時、パウロはまだ使徒ではなく当時サウルと呼ばれていました。しかし、ダマスコへ行く道で天から目のくらむような光がさして彼は馬から落ち、それから数日間目が見えなくなりました。とても劇的です。するとあなたは”わたしはそんな経験をしたことがない。”というでしょうが、そんなことは構わないのです。あなたが馬から転げ落ちたり、目が見えなくなったりしなかったからと言って、あなたの神様の体験がより現実でなくなってしまうことはありません。
大変な苦しみに遭うことを覚悟していなさい
わたしがひとつどうしても言っておきたいことがあります。もしその経験が特に際立ったものである場合(劇的といってもいいでしょう。)主があなたに非常にむつかしいこをするように召されることを覚悟しなければならないかもしれません。例えば、パウロはまさにこのような劇的な体験をしました。そしてその結果主は彼にとても難しい任務を用意されていたのです。言い換えれば、もしあなたが非常に際立った経験を求めるなら、同時にパウロが経験したような(使徒行伝第9章16節)非常に際立った苦しみに耐える覚悟をしておいた方がいいということです。もし大変な苦しみがいやなら、劇的な経験をすることも忘れたほうがいいでしょう。他のだれかが話をするのを聞くだけで、彼らに苦しみを経験させておけばいいのです。
わたしはこれらのことを分かち合うとき、苦しみについては、わたしも主の憐みによってかなり経験しましたが、あまり詳しくお話ししません。こういった攻撃や苦しみが襲ってきた時はいつもこれは主がわたしに召してくださったことだということと神の使命の大部分はわたしにこれらの経験を通してとても生々しくわたしと神様との関係を常に確信させることだということを思い出しました。
宣べ伝える
“宣べ伝える”という言葉は聖書の中の詩篇で何度も繰り返し使われています。
・ そのみわざをもろもろの民のなかに宣べ伝えよ。詩篇第9章11節
・ すべての神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを宣べ伝えよう。詩篇第66章16節
・ あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。詩篇第78章28節
これは詩篇の中で延々と続きます。神のみわざを宣べ伝える、神の栄光を国々に、人々に宣べ伝えるなどです。これは基本的にわたしが現在していることです。わたしはあなたの恐るべき御業と働きを宣べ伝えます。わたしはあなたのおおいなることを宣べ伝えます。詩篇第145章6節
多くのひとびとがわたしに”神様があなたに色々劇的な経験をさせて下さったのにわたしには何もしてくださらないのは不公平だ。”といいます。わたしが先に述べたことを心に留めていてくださっていればと思います。あなたも同じがあるいはもっとすごい経験をすることが出来ます。ただし神様のために苦しむことを覚悟しているならばです。もしそうでなければ、そんなことを思うことすらおやめなさい。それはつまり神の啓示(それは基本的にこれらの経験のひとつひとつということです。)には必ずなんらかの値札がついているということです。もしその覚悟ができていないなら、それを求めることもおやめなさい。
わたしは神を知るというこの特権とそれに伴う苦しみにもさらに大きな喜びを見出します。わたしはパウロに共鳴して、”すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかってその死のさまとひとしくなり、”(ピリピ人への手紙第3章10節)といいます。そのようにしてかれはキリストを知るようになったのです。あなたはどれくらい本当に主を知りたいと思っていますか?
ロンドン時代
わたしの証しの第4章を続けさせてください。最初にことわっておきたいのですが、1時間では証しの一部である、ひとつの時期、ロンドン時代のことについてだけでも全てを網羅することは無理なので、特に印象的な出来事だけを選んでお話することにします。前回、わたしの中国での経歴とスコットランドで過ごした時のことをお話しました。この章ではわたしがロンドンにいた時代のことについてお話することにします。その頃わたしは主がわたしにして下さったあまりにも多くのことを体験したので、先に申し上げたとおり、かいつまんでその中から一部だけをお話しします。
窮乏は神様を体験する機会となる
とりわけあらゆる問題や苦しみを通して主は御自身を現されます。もし何も問題がなければ、神様がして下さることを経験する機会がありません。例えば、経済的にも物質的にも困っていなかったり、主の奉仕者としてあるいは神の子として全く経済的必要に迫られていなかったら、どうやって神の備えを経験することが出来るでしょうか?もしあなたが何も必要としていなかったら、神様が介入してくださる機会はありません。わたしは何も必要としていない人を気の毒に思います。なぜならそのひとは神様を経験するチャンスもないからです。このことをようく心に留めておいて下さい。
もしあなたに何の肉体的問題もなければ、あなたはまた神様を経験することができません。わたしは毎日肉体的に神様に頼らなければなりません。わたしは今毎日神様が維持してくださらなければ1日も切り抜けることができない状態まで来ています。わたしは以前ここにいる皆さんと同じくらいかあるいはもっと肉体的に丈夫で健康でした。今は、背中に問題があり、10分か15分立っているだけで激しい痛みに襲われます。そうなるとあなたはどうしますか?神様に頼ることを学ばざるをえません。わたしの必要は神様の好機となるのです。
アンドリュー・マクベス、”神の人”
スコットランドでわたしは2年間聖書訓練学院で勉強しました。そこは英国で最も古くて有名な神学校のひとつでした。正確に言うと、ムーディによって設立されました。西洋の伝統の中で長い間クリスチャンであるあなたがたの多くは偉大なる説教者ムーディーのことをご存知だと思います。シカゴのムーディ神学院も彼のミニストリーの結果設立されました。もちろんサンキーがかれの音楽ミニストリーの担当でした。ムーディーがいくところにはすべてサンキーがついて行って音楽のミニストリーを担当しました。ご存知のように、多くの有名な英国の賛美歌や聖歌はサンキーによって書かれました。かれらは英国で宣教活動を繰り広げました。その時期多くの人が主に立ち返りました。その結果、たくさんのひとびとが主の働きのために訓練を受けたいと切望し、こうして聖書学院が設立されたのです。
学校長はアンドリュー・マクベスという学者肌の紳士、しかしそれよりもまず立派な神のしもべでした。わたしは今までの人生を振り返ってどれくらい多くの真に神のしもべと呼べる人にであったかを数えてみました。つまり、わたしの心のなかで”神の人”として際立つ人ということです。”神の人”という称号は簡単につけられるものではありません。その称号に真にふさわしいひとはほとんどいません。聖書の中でも”神の人”という称号ほど高貴な呼び方はないと思います。そういう人はほとんどいません。わたしの人生のなかでも、おそらく数えるのに5本の指もいらないくらいです。
わたしはアンドリュー・マクベスをそのひとりとして挙げます。もしあなたがこの人にあって少しでも彼のことを知る機会があったら、あなたは神の人に出会ったということがわかります。まず最初にわたしはかれのぬきんでた謙遜にうたれました。わたしはビザがとれなかったので1ヶ月遅れて到着しました。ビザに関していろいろなトラブルがあり、わたしがとうとうグラスゴーに着いた時には神学校の学期が始まってからすでに1ヶ月が経っていました。マクベス氏自らがわたしを迎えに来てくれました。何故学長がわざわざひとりの新入生を迎えに出なければならないのでしょう?他にも学生はたくさんいるのですから誰かにわたしを迎えに行かせることもできたはずでしたが、かれは個人的にわたしを迎えに来てくれました。それだけではなく、彼はわたしを構内にあった彼の住まいにまで連れて行って、わたしを彼の家族に紹介してくれました。わたしは学長がわざわざ学生を家族に紹介するなんて聞いたことがありませんでした。彼は当時病に臥せっていた彼の奥さんにわたしを紹介し、彼女はベットから起き上がってわたしに挨拶してくださいました。
結婚している方ならおわかりになるかと思いますが、妻が病の床にあってきちんと髪を梳かしていない時は訪問者に会いたがらないのが普通です。しかし、アンドリュー・マクベス氏は意に介さず、わたしを彼の妻に紹介し、彼女もまた非常に愛想よくわたしを歓迎してくれました。それはわたしが最初に味わった彼の恵み深さと謙遜でした。
ある日わたしが廊下を歩いていると突然マクベス氏が現れました。彼はわたしに”おいで。”といいました。わたしはいったいなんだろうと思いました。彼はわたしをそばに呼んで封筒を手渡しました。わたしは封筒を見て”これは何ですか?”と尋ねました。彼はわたしに言いました。”主がわたしに語られたので、わたしは君にわたしの10分の1献金をあげたいと思うんだ。これはわたしの10分の1献金だよ。”わたしはとても感激しました。神学校にはこんなにたくさん学生がいるのに、学長自らがこうやってわたしに普通の贈り物ではなく彼の10分の1献金を与えて下さったのです。わたしは言葉を失いました。わたしは驚きのあまりぼうっとし深く感動していました。これでこの方の本質がどういうものかをお分かりいただけたかと思います。わたしはまだ1年目の学生でした。
彼の生き方全てがキリストの香りを放っていたことがお分かりになったと思います。それは本当に美しいものでした。わたしが神学校から得たことはたくさんの知識より、それにも勝って神の人とはどういうものかという深い印象でした。そういう人と出会っただけでなく、そのような人と友情を育むことができたということは何ものにもまして貴重なことでした。
何年も経った後、彼がかなり高齢だった時、わたしはいちどかれにわたしが牧師をしていたリバプールから電話をしました。わたしはかれに”按手”について彼がどう思うかと尋ねました。そのことをわたしは神学校でも勉強しましたが、わたしは確固として聖職任命式を拒んでいました。わたしは何々師とか、何々牧師とか呼ばれるのが嫌いだったので、任命されたくないと思っていました。わたしはいかなる肩書きも持ちたくなかったのです。事実、わたしはリバプールにいた頃ずっとそうだったのですが、報酬なしで主に奉仕したいと思っていました。その5年間わたしは給料をもらいませんでした。わたしは給料を辞退したのです。それで生活は大変でしたが、そうすることによってわたしは教会にわたしがお金のために福音を伝えているのではないということを示したかったのです。わたしは奉仕から如何なる報酬も欲しくありませんでした。実際わたしはそのことについて何もいいませんでした。5年後にわたしがリバプールを離れる時わたしがそこにいた5年間わたしが給料をもらっていなかったことをだれかが見つけ、非常に驚きました。彼らは”わたしたちが献金箱にいれたお金はいったいどこへ行ったのですか?”と尋ねました。わたしは、”主の働きのために用いられました。わたしが受け取らなかったからといって、主の働きに用いられなかったということではありません。”と言いました。すると彼らは”何故あなたは一度もそういわなかったのですか?”といいました。わたしはこう言いました。”わたしは最初にそう言いましたが、その時まだあなたがたは教会に来られていなかったのです。”その教会はほんの小さなグループから大きな集会へと成長したので、ほとんどのひとはこのことについて何もしりませんでした。
しかしわたしは聖書の中で何度か述べられている”按手”についてどうしても知りたかったので、ある日マクベス氏に電話して言いました”マクベス師、按手についてどう思われますか?”彼は”もちろん、それはとても大切なことだよ。”と言いました。わたしは”それはわかりますが、何か他に教えていただけることはありますか?”と言いました。すると彼は”ではわたしがリバプールへ行くとしよう。”と言いました。わたしは言いました。”わざわざリバプールへ来て教えて下さらなければならないほど解説に長くかかるということでしょうか?”
この方の神々しさにお気づきでしょうか。彼はスコットランドから遠路はるばるリバプールまで来てくれました。わたしは彼が按手のことをわたしに解説するためにリバプールまで来られるのだと思っていました。復活祭の直前でした。彼がリバプールに着くと、わたしは”なぜ按手のことを説明してくださるためにわざわざリバプールまで来てくださったんでしょうか?”と言いました。すると彼は”わたしは按手のことを説明するためにきたんではなくて、按手するためにやって来たんだよ。”と言いました。わたしは言葉を失いました。”なんですって?”とわたしが言うと、彼は”聖書に基づいているとわかっていることはその通りにやるのです。そのことについて話すのではなく、それをやるのです。”
驚きだったのは、彼が復活祭まえの週日にきて、3日後の復活際の日にわたしは聖職を任命されて按手を授かっていたということです。教会にはその前の日曜日にまだ何も通知されていませんでした。なぜなら自分が聖職を任命されるということを私自身ですら知らなかったからです。
このことが神の人のもうひとつの秘訣を示しています。ただ話すのではなく、実行するのです。聖書に基づいていることは、そのことについて何もかも理解していなくてもその通りにやるのです。彼は決してわたしに解説しませんでした。按手についてわたしに何も説明しませんでした。彼はだたその通りことを進めて按手を実行したのです。振り返ってみて、わたしは自分がそのようなまれにみる神の僕であり秀でた性質を持った人に聖職を任命していただけたことを大変光栄に思います。
わたしは神の人と呼べるひとがまわりにほとんどいないことと、そして神さまがご自身の叡智と優しさによってわたしにその数少ない神の人に出会う栄誉を与えて下さったことを証ししたくて、少し時間をかけてこのことをお話ししています。過去にわたしはひとりかふたり別の人のことをお話したことがありますが、それは今日証しすることとは一致していません。
アンドリュー・マクベス氏は本も何冊か書いておられます。わたしはグラスゴーを発つ前に学校の彼のオフィスにお別れを言いに行きました。その時も彼はいつも通り優しくとても穏やかにわたしにさようならを言ってくださり、そして”わたしの本がちょうど出版されたばかりだから君に一冊進呈しよう。”と言って本にサインして手渡して下さいました。それは意味深にもヨブについての本でした。その時わたしはまだ非常に未熟だったので、その真の意義をつかんでいませんでした。後にわたしは彼がヨブについての注解書を書いた理由は主のために彼が経験した長い苦しみであったことをようやく理解しました。しかし、彼は決して彼の苦しみについて話しませんでした。後になってどれほど彼が苦しんだのかをあちらこちらから見聞きしました。彼のヨブについての注解書は大変に価値のあるものでした。なぜなら肘掛椅子に腰掛けて学者が書いた注解書はたくさんありますが、アンドリュー・マクベス氏は学究的にも経験的にも非常に豊かな人だったからです。彼は世界中の色々な場所へ福音を伝えに出かけたので、主のために多くのことを経験しました。
ロンドンで勉強を続けた日々
わたしがスコットランドを離れる時、マクベス氏が最後に言われたことは”エリック、神様は君に才能をお与えになったのだから、さらに高いレベルの訓練を受けなければいけないよ。君はもっと上に進んでいくのに必要なものをもっている。だからロンドンへ行ってさらに勉強を続けなさい。”ということでした。正直に言うとわたしはさらに勉強することには関心がありませんでした。わたしの心の中では炎が燃えていて、出かけていって福音を伝えたかったのです。わたしは学校の教室に座って死ぬほど退屈なことを勉強して時間を無駄にしたくはありませんでした。わたしはもともと学校へ行くのがそんなに好きではありませんでした。運動場は大好きでしたが学校はそれほどでもありませんでした。
ここでマクベス氏がわたしにさらにもっと勉強するようにとおっしゃっているのです。わたしは”えーっ!そんなぁ。”と思いました。しかし、神様の僕が語られている時にはますます心して聞き従わなければなりません。それでわたしは言いました。”わかりました。ロンドンへ行って、もし主が道を開いて下さったら、勉強します。でももし主が道を開いてくださらなかったら、やったー!わたしは福音を伝えます。”
彼が祈って下さったからなのかどうかはわかりませんが、どこへ行っても道は開かれました。これは信じられないことだと思いました。実際わたしは通常2~3年かかる大学入試(GCE)の勉強をする時間がありませんでした。わたしはそれに興味もありませんでしたが、マクベス氏が言われたことなので、すこしは勉強しなければなりませんでした。確かにあちらこちらパートタイムで勉強してもはかどりませんでした。結局ロンドン大学は英国で1番容易に入れる大学ではありません。しかし、見よ!なんと、どの学部にいってもわたしはその場ですぐに受け入れられましたから、この神の人が祈っているに違いありません。これは本当に驚きだとわたしは思いました。わたしが入っていっただけで、教授が”入学を認めます。”と言いました。
わたしはずばり何を勉強すべきかと考えていました。多分あなた方の中にもこの問題にぶつかったひとがいるでしょう。”何を勉強すべきだろう?”わたしは”何か主の働きに役立つことを勉強したい。”と思いました。わたしは”主よ、わたしに何を勉強してもらいたいとお望みですか?御心を示してくださるのを待っています。”と心のなかで思いました。そしてまた”わたしの願望は中国に福音を伝えることだから、わたしはもっと中国を深く詳しく知った方がいいだろう。”と思いました。しかしまた、”中国に関係することでなにを勉強すればいいだろうか?”と思いました。
正直に言うと、わたしは文学、哲学あるいは歴史に関することを勉強するのを恐れていました。というのはわたしが学校で勉強した中で得意だったのは理科系科目だけで文科系科目については全く絶望的だったからです。わたしは作文をかくことができませんでした。書き方を知らなかったのです。わたしはどうすればいいのかさっぱりわかりませんでした。理科系科目は率直です。2たす2は4。これならわたしにも対処できます。とても単純だからです。しかし作文を書くとなるとわたしはどうしたらいいのか全くわかりませんでした。文科系科目はからきしだめでした。もしすれすれで及第できればそれだけで十分ありがたいことでした。理科系科目はかなりよくできました。わたしの一番の得意科目はいつも数学でした。それは難しいゲームをしているようで、とても楽しかったのです。ですからどうして数学を恐れるひとがいるのかわたしには理解できません。しかしわたしは文科系科目を恐れていました。わたしはその時主の働きにおいてどう生かしたらいいのかわからなかったので理科系科目を勉強しないことにしようと思いました。確かに役に立つこともありますが、ただその時にわたしはそう思ったと言っているだけです。他のひとにとってはそれが中国かあるいはどこか別のところで仕事を見つけたりして道を切り開くのに役に立つかもしれません。しかし、わたしは中国の文化と言語の理解を深めようと考えていましたので、東洋哲学と文学や歴史などの文科系科目を専攻することにしました。つまり、わたしがまさに苦手としていたことをやることにしたのです。
最初、わたしはギリシャ語をやろうと思いました。新約聖書をよりよく理解するためにギリシャ語を専攻するのです。わたしは大学のギリシャ語学部に行って教授に”ギリシャ語を勉強したいのですが。”と言いました。わたしは入学を許可されました。教授はわたしに”オックスフォードかケンブリッジに志願しましたか?”とだけ尋ね、わたしは”いいえ。わたしの教会はロンドンにあるので、オックスフォードやケンブリッジにいくつもりはありません。”と答えました。彼は”もしそっちに志願しているなら君に入学を許可しないが、君がロンドンでのみ志願するなら、受け入れよう。”と言いました。わたしは”ずいぶん話が早いな。”と思いました。彼は遠まわしに話すことはしませんでした。
あとになって、わたしが学ぼうとしていたのはギリシャ古典で新約のギリシャ語ではないことに気が付きました。そのふたつは全く同じではありません。関係はありますが同じではないのです。わたしはあとであまり役に立たないかもしれないのでギリシャ古典を学ぶのに3年も費やすつもりはありませんでした。
それからわたしはロンドン大学の東洋研究科へ行きましたがそこでもまた同じことが起こりました。わたしが入って行って、”ここで勉強したいのですが。”と言うと、教授が”どうしてこの科目を勉強したいのかね?”と尋ねました。わたしは”福音を伝えたいからです。わたしは宣教師になるつもりです。”と答えました。わたしはそれ以上率直になれないほど率直でした。もし彼が宗教反対派だったら、わたしはその時そこからつまみ出されていたかもしれません。そこは宣教師を訓練することろではなかったからです。その学部で勉強している人のほとんどは外交官になるために訓練されていました。彼らは哲学と外国語と外国文化を学び、その中からたくさんの人が外交官になりました。事実、香港の前総督デビット・ウイルソン氏はこの学部で大学院の研究をしました。ある日彼が香港総督になったというニュースを聞いた時わたしはこのことを妻のヘレンに話しました。彼は1997年の中国返還前の最後からふたり目の総督でした。
中国人教会での奉仕
わたしはロンドンへ行った時、ある兄弟がわたしに”どこの教会にいっているのですか?”と言いました。
“わたしはロンドンに着いたばかりで、まだ教会を見つけていません。”
彼は”わたし達の教会にいらっしゃい。”と言いました。
わたしは”どちらの教会にいっていらっしゃるのですか?”と言いました。
彼は”わたしたちは中国人教会を始めたばかりなんです。”と言いました。
わたしは”どちらの教会かお伺いしてもよろしいですか?”と言いました。
すると彼はその教会のことについて教えてくれました。わたしは”それはわたしが以前Hさんという方にお会いしたことがある教会でしょうか?”と言いました。
彼は”そうです。その教会です。しかしその人はもういなくなりました。”と言いました。
わたしは”もし差し支えなければわたしは別の教会を探そうと思います。”と言いました。
彼は”お願いです。人数が足りないので中国人教会に来ていただけませんか?”と言いました。
わたしは”あまり気がすすまないんです。”と言いました。あなたは耳にしたことによって影響されませんか?とても簡単に否定的な影響を受けてしまいます。どんなにいいことでも、もしだれかが何か否定的なことをいうと、そのあと、そのことを心から取り除いて忘れてしまうのは非常に難しいのです。
とにかく、この兄弟は例えばドアが開くまでたたき続けるというような、粘り強さの譬えでずいぶん学んだらしく、決してあきらめませんでした。毎週毎週わたしを誘い続け、とうとう”わかりました。そんなにこの教会がいやなら、聖書の学び会ならどうですか?”と言いました。
わたしは”それはどう違うんですか?”と言いました。
彼は”聖書の学びをリードしてもらえないかと言うことです。”と言いました。
わたしは”わたしはその人たちことを知らないんですよ。”と言いました。
彼は”それは大丈夫です。聖書の学びをリードしてくれるだけでいいんです。誰もやる人がいないので。なんとか力になってもらえませんか?
とうとうこのように説得され、わたしは聖書の学びをリードするためにその教会へ行くことになりました。
中国人”教会”というとずいぶん立派に聞こえますが、そこにいたのは5人だけで、彼らは自分達のことを教会と呼んでいました。むしろ、聖書の学び会のままでよかったのですが、彼らはYMCAの教会堂で集会をしていたので、それで多分自分達のことを教会と考えていたのでした。教会堂にたった5人でそれを教会と呼んでいたのです。
次にわたしが知ったことは一時的にこの教会をリードする人はわたしだけだということでした。わたしを誘ったあの兄弟はどこに行ってしまったのかわかりませんでした。彼は突然何か他のことをするためにどこかへ消えてしまいました。わたしはひとり残されて、この5人の教会を世話することになりました。賛美歌を決めて発表することからオルガンをひくことまで何もかもわたしがやらなければならなかったので、これはまったく滑稽なワンマン・ショーになりました。ピアノは賛美歌をやっと何とか弾ける程度でしたが、いままでオルガンを弾いたことは一度もありませんでした。ほとんど賛美歌を歌うことができない5人のひとびと5節の賛美歌を歌うのはどんなふうだか想像できますか?それで、わたしは”多分このオルガンを弾いたほうがいいだろう。”と思ったのですが、電子オルガンについているボタンのどれを押せばいいかもわかりませんでした。
主はまた大変なユーモアのセンスの持ち主です。わたしは前に立ってお知らせをしてから教会堂のうしろにあるオルガンのところまで走っていかなくてはなりませんでした。わたしがオルガンを引いている間は壇上には誰もいませんでした。そして賛美歌が終わるとわたしはまた前まで走っていきました。
主の働きによって、主がひとびとを引き寄せ続けられた結果、教会堂はどんどんいっぱいになっていきました。数ヶ月の間に教会堂は満員になりました。とはいってもたった50名ほどでそれほどたいした数ではありませんでした。50名のひとびとで教会堂がいっぱいになったので、わたしたちはもっと椅子を置くためにロビーを使わなければなりませんでした。それでももっといっぱいになってきたので、人が行ったり来たりしている廊下に立っていなくてはならない人たちもいました。
わたしは主の御言葉の力が働いているのを目の当たりにし始めました。主は全く経験もなく本当に分不相応な未熟者を喜んで用いてくださり、恵み深くその働きを祝福して下さったのです。わtしたちは数週間後にYMCAビルの中のもっとずっと大きな場所へ移らなくてはなりませんでした。
ここまでで、まだわたしは劇的なことをお話していませんね?主がひとびとをご自身に、また教会に引き寄せられたことにおいてさえ主の御力を経験したように、これらの日常的に見える全てのことにおいてどのように主を体験することができるかということをお話しただけです。
1~2年経って、わたしではなく中国からきた牧師の責任のもとで、その教会はまだ成長し続けていました。わたしが最初に来たとき彼はすでにその新しい教会の牧師でしたが、彼は教会の建物を購入するための寄付を募るためアメリカにいたのです。3,4ヶ月離れている間に教会堂が満杯になっているのを見て彼は非常に驚きました。
チスルハ-ストでの五旬節(ペンテコステ)的体験
教会は成長し続けました。それからわたしたちはケント州のチスルハーストでキャンプをしました。キャンプでわたしたちはだれもがやるのと同じ、ごく普通のことをしました。60名ほどのひとが参加し、主はそのキャンプで大いなる働きをして下さいました。復活祭の日が来て、それはキャンプの最後の日でもありましたが、主はひとりひとりの心に働いてくださいました。キャンプの間中、すでに主がそれぞれのひとの心に働いてくださっていることがわかりました。復活祭の日にイースター・エッグの宝探しをしました。イースター・エッグを見つけるためには各ポイントで手がかりを見つけなければなりません。もし正しく手がかりを見つけなかったら、間違った場所に行ってしまうことになります。卵をみつけるには、手がかりを求めてシャーロック・ホームズのように推理作業をしなければなりません。
わたしのことを知っている人はわたしが冗談好きだということを知っているでしょう。わたしはゲームに参加してみんなと一緒に手がかりを探しました。最後はどうなったと思いますか?わたしが卵を勝ち取りました。卵を勝ち取ったのはよかったのかもしれませんが、しかしこの大きな金色の卵を持ってイースターの朝の感謝礼拝に来たとき、わたしは道化師のように感じました。わたしは”主よ、何故わたしがこの卵を勝ち取らなければならなかったのですか?”と心の中で言いました。あまりにも滑稽に見えたので、わたしはどこか椅子の下に卵を隠す場所を探しました。そして間もなく集会が始まりました。
わたしがこの点についてお話したのはなぜかというと多くの場合クリスチャンが自分達が望むような結果を得るために人々の感情に働きかけたり、音楽を使ったりして霊的な雰囲気を作り出そうとする傾向があるからです。そこにはある種の感情的な雰囲気を創り出そうするような企ては全くありませんでした。何が起ころうとしているのか期待して気持ちが盛り上がっているというようなこともありませんでした。集会が始まり、司会の人が立ち上がって何か言い始めました。それまではみんな集まってきたばかりで笑ったり冗談を言ったりしていました。一瞬の沈黙があり、彼が言いました”祈りをもって始めましょう。”このときが彼が話すのを聞いた最後で、そのあと彼はその場からいなくなりました。彼はお祈りの間もぐもぐと口の中で何か言おうとしていましたが、突然神の霊が降りてきました。それでわたしはイースター・エッグのことをお話したのです。心理的準備とかそのようなものは何もありませんでした。それは完全に予期せぬ事でした。ある瞬間、ひとびとは大声で笑ったり、くすくす笑ったりしていましたが、次の瞬間には完全に沈黙の状態になりました。そしてその後すぐに抑えがたい神の御臨在の感覚に満たされました。実際経験しないとそれがどういうものかということを説明することはできません。
五旬節で聖霊が降臨した時に何が起こったかわたしには理解できます。お話したように聖霊が降りてきたとき、聖霊が集会を支配していました。司会者は席に戻り、残りの時間彼が話すのを全く聞きませんでした。言葉を変えて言うなら、彼はもう集会を司会していなかったのです。主が支配されていました。
ひとつの隅でだれかがすすり泣いているのに気がつきました。それからすすり泣きはもっと多くなりました。突然この60名が集まった部屋中が泣き声でいっぱいになりました。涙が流されました。次に、ひとびとは罪を告白し、悔改めが始まりました。神の恐るべき聖さ(ホーリネス)は紙に書き表わすことができるものではありません。聖さとはなんでしょうか?辞書をひけばその意味はああだこうだと書かれているでしょう。それを読んでも結局聖さとは何であるかあなたにはわかりません。
しかしもし神に出会ったことがあるなら、だれもあなたに聖さとは何かを説明する必要はありません。なぜならあなたはそれを体験したからです。突然そこは恐るべき神の御臨在の感覚に満たされました。神がその部屋に臨在し、ひとびとに罪を自覚させておられました。わたしの隣りに立っていた男性はどんな時も泣いているところなど決して見せないようながっしりとした背の高い大きな人でした。わたしが振り向くとそこで彼はもう抑制できずに泣きじゃくっていて、顔から涙が流れ落ちていました。このようなことが部屋中で起こっていました。いたるところで神の御力が感じられました。それからひとびとは立ち上がって神の許しを請い、罪を告白しました。本当に驚くばかりでした。主の霊がその部屋でひとりひとりに働いていました。忘れがたい経験です。
わたしたちは時間の感覚を全く失っていました。集会は1時間半の予定でしたが、何時間も延々と続きました。みんなプログラムのことなど忘れて、だれも昼食を取りに行きませんでした。キャンプ場のスタッフは昼食を用意して待っていましたがだれも現れませんでした。みんな部屋の中にいて、神の霊が働いていました。劇的な経験について話したければ、そこにはまさに神の御力が具現されていました。それはまさに劇的でした。それは五旬節的体験でした。今、わたしには五旬節がどんなふうだったかがわかります。それはわたし達が経験した抑えがたい神の御臨在の感覚です。わたしは”恐るべき”という言葉を使い続けていますが、他にどう言い表したらいいのかわからないのです。ひとりひとりが神の臨在のもとで打ち砕かれました。
その後何時間か経ってわたし達は集会を終了しました。どのように終了したのかよく憶えていないほどでした。わたしたちはみんなぼうっとなった状態で部屋を出ました。わたしが時間の長さを強調したのはそれが2~3秒間のぱっと一瞬で消えてしまうような経験ではなかく、何時間にも及ぶ神の臨在の経験だったからです。それは矢のように過ぎ去る想像上の一時的で消えてなくなってしまうような経験ではありませんでした。それは延々と続いて、十分に味わうことができました。神の臨在を心ゆくまで味わい尽くしたのです。神様がただ現れてぱっと消えてしまわれたのであれば、あなたは”幽霊が通っていったのを見たのかな?”と言うかもしれません。しかし、神はそこにおられました。そんな経験をしたあとではだれも変わらずに同じでいることはできません。それはおそらくわたしが理解するよりもさらに深くわたしの中に刻みこまれました。神との出会いの力は本当に驚くべきものでした。
わたしはそこにいただれもその経験をどう表現したらいいのかわらなかったと思います。しかし、わたしはそれより以前にさまざまな形で主を経験していたので、神様がそのような驚くべき業を行われた後はすぐに敵も行動を開始するということもわかっていました。敵は洪水のように押し寄せてきます。何が起こったかというと、教会の人数が爆発的に増えました。わたし達60名がチスルハーストで神に出会ったという噂は火事のように広まりました。だれもがいったい何が起こっているのか見ようとしてわたし達の教会へ来たがりました。いったいどのように火がついたのでしょうか?実は火がつく技など何もないのです。どうするかという方法などないのです。どう説明したらいいのでしょうか?ステップ1、ステップ2、ステップ3というようなものは何もないのです。それはまったく予期せぬことでした。それを組織することも、あるいは準備することすらできないのです。神様はご自身が選ばれた時に来られるのです。わたしたちが他のだれよりもまさっているからでも、神聖だからでも、聖徒的だからでもありません。また、わたしたちが他のひとびとよりうまく歌えるからでも、手拍子をうまく打てるからでも、うまく踊れるからでもありません。わたしたちはこういったことのどれひとつとして上手ではありませんでした。全然そうではありません。考えうる人間的な理由はありません。神様が来ることを決められたのです。
教会に対する激しい攻撃
教会に対する激しい攻撃が始まりました。教会が爆発的に膨張し、120名、150名と跳ね上がり、とうとう200名を越えました。短い間に教会は急速に拡大しました。兄弟姉妹のみなさん、それはよくないことです。どうしてでしょうか?ご説明しましょう。これらのひとびとはほとんどが神様に対して真剣ではなかったからです。彼らはみんな一時的に興味を持っただけでした。人数が多いことは必ずしもいいことではありません。深いものだけがとどまり、浅いものは去っていきます。ひとびとはわたしたちの教会が聖霊の満たしを経験したと聞いて興味本位でどっと押し寄せてきたのです。彼らはその祝福の光のおこぼれを、温かさのおこぼれを、テーブルの下のパン屑をもらいたかったのです。その結果、突如として人数が膨れ上がり、彼らはお互いのことをよく知りませんでした。フェローシップの楽しさのレベルが落ち始めました。すべてが弱くなり始めました。お互いのことを本当によく知らないので、ひとびとの間の距離が広がりました。お互いを知るのには時間がかかります。家族としての意識が消えてしまいました。突然わたしたちはものすごい数のよく知らない人たちを目の前にしていました。
香港でわたしたちの合同キャンプに参加したことのあるひとならわたしの言っている意味がわかるでしょう。突然400名以上のひとびとがそこに集まってきます。たくさん集まるのはいい気分ですが、だれがだれだかわかりません。だれかに会うたびに名前がなにでどこの教会から来たと言うことを名札を見て調べなければなりません。ここでも他の教会から来た人のことを知らないと少しそれに似たような経験をしているかもしれません。しかし想像してみてください。400人ものひとがいたら、限られた時間の中でお互いのことを内容のある意味で知ることは不可能です。みんなが違う教会から来ていたらなおさらお互いを知るのはとても困難です。いくつかの教会ではすでに100名以上のひとがいてお互いを知り合うのがとてもむづかしい状況です。これらがひとつの否定的な結果です。賢明な霊的リーダーがいないと祝福も結局望ましくないものになってしまいます。
教会の不祥事件
そしてもちろん教会が大きくなると、教会の経済力も大きくなります。教会でひとびとが熱心になればなるほど、献金が多くなるので、収入も多くなってきます。するとどうなるかお分かりになりますか?別の理由で、すなわち教会の資金が目的で教会に来る悪い人たちを惹き付けることになるのです。そうして、間もなくわたしたちの教会で会計係になることを申し出た人がいました。彼の目的は教会の資金を吸い上げて自分のポケットにいれることでしたが、見つかるまでの間かなりのうまく目的をやり遂げていました。この人は東マレーシアの出身で、次第に教会のふたりの会計係りのうちのひとりの職位にまで昇進しました。彼は非常に狡猾なやり方でもうひとりの会計係を中傷して解任されるようにしむけ、それから後任として別のひとが来ないようにどうにか企て、とうとう教会で唯一の会計係になりました。(ところで、彼が解任を企てた会計係もマレーシアの出身で本当は非常にいい人だったので、ひとびとがこの兄弟い対する中傷を信じたのは本当に残念なことでした。)それから彼は帳簿を操作して資金を吸い上げ始めました。
わたしが今、霊的経験の極致からしばしばそれにともなってくる否定的な側面についてお話していることに注目してください。わたしたちは熾烈な霊的戦いの中にいるのです。これは霊的生活上当然のことなのです。勝利の前進のあとには必ず反撃が待っています。そして間もなくこの反撃が始まりました。この人は何千ポンドもの資金を盗んだのです。わたしたちは彼が帳簿を処分してしまったので彼が実際いくら盗んだのかと言うことは見つけることができませんでした。わたしたちは外部から会計士を呼んで状況を査定してもらいました。その損失は莫大な額でした。
用心深く警戒していなければならないということがお分かりいただけたと思います。このことが暴露された時、この会計係は速やかに消えてしまいました。しかし彼は姿を消す前に教会で1番お金持ちの女性と結婚して東マレーシアに戻りました。こういうことが教会で起こるのは恥ずべきことでした。それは不祥事でした。わたしたちの牧師は、聖霊降臨という驚くべき体験をした教会でこんな不祥事が起こったことで非常に苦しみ、途方に暮れていました。会計係が莫大な額のお金を持って逃げていってしまったのです。牧師はこれをどうすればいいのか分からなかったので、内緒にしておきたいと思っていました。
わたしは教会のリーダーのひとりだったので、彼に”牧師、それはだめです。わたしたちは教会で兄弟姉妹に説明すべきです。あれは彼らのお金です。彼らが主に捧げたお金なんです。わたしたちにはこのことを内緒にしておく権利はありません。”と言いました。
彼は”しかし、それは教会の評判にかかわることだよ。”と言いました。
わたしは”それは、主にお任せすべきことです。わたしたちは正しいことをしなければいけません。ひとびとがわたしたちのことをどう思うかは二次的なことです。しかし、彼はそのことを明らかにするのを拒みました。
わたしは”牧師、もしあなたが明らかにしたくないのでしたら、わたしは残念ながら隠蔽の肩を持つことは出来ませんから、お許しいただけるなら、教会を離れさせていただきます。”
彼は非常に悩み苦しんで、”だめ、だめ。離れないでください。”と言いました。
わたしは”わたしには他に選択の余地がありません。わたしは隠蔽の片棒をかつぐことはできません。”
彼は”あなたはどうしたらいいと思うのですか?”
わたしはこう言いました。”この人は主のお金を盗んだのです。生ける神からお金を盗んでごまかすことはだれにもできません。チスルハーストでわたしたちは神がどれほど現実かということを体験しました。この人を神の手に委ねましょう。彼を生ける神の手に渡すのです。なぜならそれは聖書に書かれているように生ける神の手のうちに落ちることは、恐ろしいことであるからです。(ヘブル人への手紙第10章13節)そして神がこの悪事を行う人を取り扱われる時、すべてのひとに神に対する畏怖の念が起こりますから、評判のことなど心配する必要はありません。彼らは神が生ける神だということを知るでしょう。だれも神様のお金を盗んでごまかすことはできません。ですから神様にお任せしましょう。”
彼は言いました。”でも、わたしにはまだそのようにする自信がありません。”
わたしは、”それでは、さようなら。わたしたちはここでお別れしなければなりません。”と言いました。そしてわたしは教会を離れました。
もちろん、結果は最悪でした。というのは彼が隠そうとすればするほど教会のひとたちはもっとそのことについて知るようになりました。わたしは教会を離れたのでそのことについては何も言いませんでした。しかし、その不祥事は口から口へと伝わって、ひとびとは教会を離れ始めました。わたしと一緒に教会を離れたがった人がいました。彼らは”あなたが行ってしまうなら、わたしたちも一緒に行きます。新しい教会を作ってあなたがわたしたちを導いてください。”と言いました。
わたしは”いいえ、あなたがたには分かっていません。わたしはそういうつもりはありません。”と言いました。
彼らは言いました。”この2年近く聖書の学びをして下さっていたのですから、あなたはわたしたちの先生です。ですからあなたについていきます。”
わたしは”いいえ、この教会でわたしは奉仕していただけです。この牧師がこの教会の牧師ですから、神はわたしがこの教会を分裂させるようなことをするのをお許しになりません。正しくても間違っていても彼は牧師ですからたとえわたしが自分の責任でするとしても、神が聖別されたものに盾突くことを神はお許しになりません。神が彼を聖別して牧師とされたのですからわたしは彼に対して盾突くようなことをするつもりはありません。”と言いました。しかし、彼らがわたしにしつこく強いるので、わたしは姿を消すことにしました。わたしはどこに行くかを告げずに消えました。彼らはどこにもわたしを見つけることができませんでした。わたしは”テントのくい”を抜いてどこに行くのかだれにも言わずに姿を消しました。もちろんあとになって何か隠さなければいけないことがあったに違いないから姿を消したのだと言われ、そのことはわたしにとって不利に働きました。でも気にしません。言わせておけばいいのです。教会を分裂させたとは言わせませんでした。本当にそんなことはしていないからです。しかし、結局多くのひとびとがもうそこにはいたくないと思い、教会を離れていきました。
だれも生ける神から逃げることはできない
こういうことをいうのは神様がお金を盗んだ男をどうされたかということをお話したかったからです。だれも、けっしてだれも生ける神から逃げることはできません。なぜなら聖書で”あなたがたは主にむかって罪を犯した者となり、その罪は必ず身に及ぶことを知らなければならない。”(民数記第32章23節)と言われているからです。彼が帳簿を破棄してしまったので、わたしたちは彼を訴えることができませんでした。できたとしてもそれは非常に困難でした。人間的に言うと、わたしたちにできることはほとんどありませんでした。さらに、彼はすでに英国から去っていましたから、彼を英国に連れ戻して裁判にかけるには逃亡者の引き渡し手続きをしなくてはなりませんでした。彼はほとんどの証拠を処分していたので、そうすることは非常に困難でした。しかし、心配は要りません。神様がなにもかも処理してくださるからです。神様は義と聖において畏れられるべき方であり、また慈悲と善において愛されるべき方であります。これらは決して切り離すことができません。神の教会へ親切であられるためには、悪事を働いたひとに厳しくされなければなりません。しかし、悪人はすぐに自分で身を滅ぼします。
この男は結婚したばかりの妻とともにマレーシアに戻りました。しかしその時すでに彼の結婚生活は壊れ始めていました。こんな人からいったい何が期待できるでしょうか?実際、彼は結婚生活においてあまりにも不安だったので、妻が逃げ出さないように彼女のパスポートを取り上げました。そんなことが想像できますか?ある日彼の妻はどうにかパスポートを手に入れて(古いものか新しいものかはわかりませんが)、アメリカへ逃げました。彼女が出て行ってしまったと聞いて、彼は激怒し、彼女を追ってアメリカへ行きました。彼女が他の誰かと関係を持っているのではないか思い、狂気と嫉妬にかられて彼女を殺してしまいました。彼女を殺したあと、彼は東マレーシアに戻りました。
アメリカとマレーシアの間には逃亡犯引渡しの条約が結ばれていて、彼はアメリカへ引き渡されてで告発されました。彼は死刑を宣告され、アメリカで処刑されました。彼は盗んだお金で何ができたのでしょうか?だれも神の裁きから逃れることはできません。神様は罪の処理法を心得ていらっしゃいます。
心地よい神の臨在
お話することがたくさんありすぎてどこで終わりにすればいいか分かりませんので、最後にひとつだけ選んでお話することにします。わたしがお話するのはまた別のわたしの心に深く刻まれた神の経験についてです。
その頃わたしはロンドン北部の外国人宣教師クラブというところに滞在していました。わたしがそこにいたのは学生に特別親切にしてくれて1番安かったからです。
ご存知かもしれませんが、わたしはこの時期信仰によって生活していましたので、いつも神様が備えて下さるのを待たなければなりませんでした。学期の始めに授業料が払えるかどうか全く予想がつかないことが何度もありました。ロンドンでは第1日目、登録の日に支払いをしなければなりませんでした。その一日前まで、わたしには払うお金がなかったことがよくありました。わたしは主の御手にそのことを委ねなければなりませんでしたが、すこしも心配しませんでした。わたしは”主よ、もしわたしに勉強を続けることを望んでおられるのでしたら、資金を備えてください。もしわたしに勉強を続けることを望んでおられないのでしたら、同じく感謝します。わたしにとって学位を持っているかどうかは重要なことではありませんから。神様がお望みでしたら続けます。神様が止めることを望まれる時にはそうします。”と言いました。もちろん、神様がお金を管理されていたので、神様が完全に御支配されていました。
ですから、続けるかどうかを決めるのはわたしではありませんでした。主は驚くべき方法を用いられました。登録日の当日に学費を払うのに十分なお金の入った無記名の封筒を受け取ったこともありました。
ロンドン北部にいたので、わたしは自転車で街へ出なければなりませんでした。バス代を節約するためです。埃やディーゼル・バスから出る排気ガスから目を保護するためゴーグルをつけていたので、わたしはいつもロンドンの大気汚染で学校に着くまでにパンダのような顔になっていました。学校に着いてゴーグルをはずすとふたつの丸い型がついていました。顔が真っ黒で目の周りだけが白く残っているのが想像できるでしょう。とてもかわいく見えたのか、わたしが歩いているとみんなにっこり笑っていました。最初はなぜみんなが微笑んでいるのか分かりませんでしたが、鏡を見て気がつきました。これでわたしが当時ロンドンのような大都市を自転車で走らなければならないほど貧乏だったということがお分かりいただけるでしょう。他に自転車に乗っている人はほとんどみかけませんでした。ですから車やバスの間を自転車で走るのはすこし風変わりでした。数ヶ月後、神学校で知り合った兄弟が宣教師として日本へ行くことになり、彼の古いオートバイを安くわたしに譲ってくれました。しかしわたしはオートバイに乗る時もまだゴーグルをつけなければならなかったので、”パンダ効果”は残りました!
外国人宣教師クラブでのある週末のことです。わたしはバイクに飛び乗って急いで学校に行かなくてもよかったので、ゆっくりと静かな祈りの時間を過ごしていました。お祈りをしていると突然わたしはふと忘我状態に入りました。何が起こったのかわかりませんでした。わたしが天国に運ばれたのか、それとも天が地上に降りてきたのか、突然わたしは別の世界にいることに気が付きました。自分の周りで何が起こっているのかはわかりました。トランスというのがもし自分の周りの環境の意識がないということだとしたら、わたしはトランス状態だったのではありませんでした。自分自身を側から見ていて、何が起こっているのかわからないというような感覚で、夢の中にいるというのでもありませんでした。突然、地上にいながらにして天国にいるような感じがしていました。それはとても神秘的でした。本当にどうのように言い表せばいいのかわかりません。わたしの身体諸器官も精神もはっきりしていて、機敏に反応していて、完全に何が起こっているのかわかっていましたが、それでいてチスルハーストで経験した強い圧倒されるような臨在の御力というより、むしろ天国にいるような穏やかにしみとおるような美しい感覚でした。ほかにどう呼べばいいのか、どう言い表したらいいのかわかりません。すべてが光に包まれているような感じでした。わたしは光の中を歩いていました。闇は全て後ろに押しやられ、わたしは神の御光に包まれていました。見渡す限り、すべてが光り輝いていました。
最初わたしは外国人宣教師クラブの部屋にいました。そこでわたしは神様との心地より交わりへと連れて行かれました。それはまるで神様がわたしに、”チスルハーストであなたはわたしの恐るべき圧倒するような力を感じてある意味おびえ上がるような経験をしましたが、今日はわたしの穏やかさ、愛、心地よさ、優しさを経験してもらいたい。”とおっしゃっているかのようでした。そこには恐ろしさとはかけ離れた温かく、心地よい神の臨在の感覚がありました。そしてまたそれは完全に予期せぬ時にやってきました。わたしが心の中で自分で心理的に作り出したことでもありませんでした。何もしていないのです。ただわたしは歌を歌っていただけでした。それ以外何もなかったのです。当時わたしはよくひざまずいて祈りましたが、その時は床が固くてひざがひどく痛むのであまり長くはひざまずいていられないなと感じていました。そのことで気が散ってそれ以上集中することができませんでした。そうしてわたしは主とともにより長くいられるようにほとんどの場合座るようになりました。そして神の臨在を体験しました。神の心地よさへと持ち上げられて神様と親しく交わる喜びに浸っていたのはおそらく2時間くらいのはずだったと思います。わたしは何が起こっているのかはっきりとわかっていました。
わたしは時計を見て、ランチの約束があったことを思い出したので、その2時間の後出かけなければなりませんでした。そこまで歩いて行くには40分くらいはかかるだろうと思っていました。なぜその時オートバイに乗っていかなかったのか憶えていません。詳細は忘れてしまいました。どうして歩くことにしたのか憶えていません。おそらくわたしはその方が交通にあまり気をとられずに続けて神の臨在の中にいられると考えたのだと思います。そのことについては今はよく憶えていないので、それが理由だったのかどうかはわかりません。
わたしは主に、この心地よい驚くべき体験を感謝しました。わたしが道を歩いている時、神の臨在は消えてしまったと思いますか?いいえ、そうではありません。驚いたことに、わたしが道を歩いている間も神の臨在はわたしとともにありました。わたしはまだ天国にいました。歌にも出てくる正にその通り、イエス様がおられるところ、
主がおられるところに天国があるからです。神様が臨在しておられるところどこでもそこに天国があるのです。わたしは歩きながら、”わたしはまだ地上にいるのだろうか?”と考えていました。なぜ何もかもはっきりと見えているのに、そこに自分がいるという気がしないのだろうか。そこにいるのだけれども、また同時に、そこにはいないというような感覚でした。奇妙に聞こえますか?これは実際体験してみないと、どう説明したらいいのかわかりません。わたしが歩いている間、神の臨在がわたしとともにあったのです。わたしはミーティングの開かれる家の前に着くぎりぎりまでずっと主に感謝し、主を賛美し、主と交わっていました。
わたしがその家の玄関に着いた時、そこでこの体験が終わったことがはっきりとわかりました。心地よい温かさはまだ残っていましたが、神の臨在はもうわたしとともにありませんでした。扉の前で終わってしまいました。しかしわたしが道を歩いている間中、車が通ったりしている交通の往来の中にも、神の臨在はまだそこにありました。ドアのところまで来た時、まるで主が”じゃここで君をおいて行くよ。わたしとの交わりのこのときはここで終わりにしなくてはならない。”とおっしゃられたかのようでした。
わたしはドアを開けて入っていく時、心地はよかったのですが、まだ少しぼうっとしていました。部屋へ入って行って空いている席を探しました。全部だれかがすわっていて空いている席はひとつだけでした。彼らは丸になって座っていました。ほとんどが教会のひとびとでした。わたしは空いている席に向かってまっすぐ歩いていって腰掛けました。隣りにはわたしがいままでにまだ会ったことがないひとが座っていました。彼はわたしの方を振り向いて言いました。”あなたはどのように神を知ったのですか?”何故この人はいきなり”あなたはどうのように神を知ったのですか”という質問で会話を始めるのでしょう?わたしは彼の質問にどう答えようかと考えていると、彼が続けて言いました。”わたしがこの質問をしたのは、わたしは自分が神を知るにはどうしたらいいか知りたかったからです。”わたしは彼の名前すら知らなかったのです!
わたしたちのうちにおられる神の存在が目には見えない聖霊の炎(使徒行伝第2章3節)のように、他の人を神様に引き寄せるのでしょうか?あなたが座ると誰かが”あなたはどのようにして神を知ったのですか?”と尋ねてくるのです。不思議なのはだれだか知りもしない人が神様を知りたいといってわたしに話し掛けてくることです。わたしはこの青年に話しはじめました。主がまさにその日の午後、彼の命に力強く働かれ、1時間ほど後に彼はわたしとともにひざまずきました。彼は熱心に彼の命を主に委ねたいと願いました。わたしが彼に尋ねたのではなく、彼がわたしに尋ねました。”主に命を委ねてもよろしいですか?”わたしは”承知しました。ここにひざまずいて主に命を委ねてください。”といいました。わたしは主がこのように働かれるのを何度も見てきました。主の御力が事実上人をひざまずかせ、彼らは命を委ねたいと願うのです。それは驚くべきことです。わたしが彼らをゆっくり落ち着かせようとしても進んで行きたがるのです。どうしてわたしに主を妨げることができるでしょうか?そうして、彼は命を主に委ねました。事実、彼はロンドンで医学を勉強するはずでした。主の御力が彼の命に働いたので、彼は医学をやめて主に奉仕する訓練を受けることにしました。彼の支払った代価は非常に高いものでした。なぜなら彼の父親は彼を勘当し、最近まで和解していませんでした。わたしたちは今でも連絡を取り合っています。
主が経験させてくださるのはわたしたちの個人的な楽しみのためではない
このことから、注意していただきたいのは、主がわたしたちに幾度も経験をさせてくださるのはわたしたちの個人的な楽しみのためではないということです。おそらく主があの日わたしに主との特別な交わりの時を与えて下さった理由はこの人が主に向かうことを手伝うためだったのかもしれません。
あの経験はわたしだけのために与えられたのではなく、彼のためでもあったと思います。彼は家族に拒絶されることも覚悟していました。彼の父親は医者で、当然息子にも医者になってもらいたいと思っていました。彼の父はまた仏教徒でもあったので、彼の息子が伝道者になると言った時、激怒して二度と口をききませんでした。何年か前にこの兄弟が香港にいたとき、わたしは彼に”お父さんとは和解しましたか?”と尋ねました。彼は”父はいまだにわたしと口をきいてくれません。”と言いました。30年経った今もまだ彼に話し掛けてくれないそうです。それほど彼の父は苦々しく思っていたということです。
主の御言葉を全ての民に宣べ伝える
主がこの証しを通してあなた方を祝福してくださるように祈ります。わたしは主の栄光と主の力強い働きを宣べ伝えよと聖書で言われていることを実行しただけです。今日わたしがやろうとしていたのはこのことです。主の栄光について聞くことはあなたがたにある種の責任をもたらします。だれも主の御言葉を聞いて何らかの形で神ご自身に従わずに去っていくことはできません。あなたが主に正しく従うことができるように主があなたを助けて下さいますように。
(つづく)
エリック・チャン牧師(Eric H.H.Chang)
1934年中国上海生まれ。様々な出来事を通して主を経験した結果1953年に信仰をもつ。1956年主の導きにより中国を離れ、スコットランド、グラスゴーの聖書訓練学院(The Bible Training Institute: B.T.I)に学び1959年にそこでの訓練を終了。学長アンドリュー・マクベス氏の勧めにより、ロンドン聖書学院(London Bible College)でさらに勉強を続けた後、ロンドン大学で人文科学と神学を専攻。卒業後、主の導きによりリバプールの教会で奉仕。そこで長年の友人でもあったアンドリュー・マクベス師によって聖職任命を受ける。数年後、招かれてモントリオールの教会で奉仕。主はまた大いにその働きを祝福され、1976年に始まった小さな教会が今日25以上の教会へと成長。神の恵みにより唯一の教会の頭であるキリストの支配のもと教会は現在も成長を続けている。
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